この作品は日常系じゃ無かった – 『小林さんちのメイドラゴン』最終回の感想

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不満点の多い作品だったが最終回は良かった

これまでの感想で不満な点をいろいろ書いた本作だったが、最終回は文句なしに素晴らしかった。

映像の質が一段と高かったなあと思う。ワンシーン毎の絵や演出にとにかく気合が入っていて、まるで劇場版作品を見ているようだった。圧倒された。

京都アニメーションの底力を見せつけられた感じ。思い出してみれば、私が深夜アニメを見るようになったのも京アニがきっかけだった。

最終回を見て、その時のことを思い出した。「わぁっ」と声が出てしまうような圧倒的な映像美に震える。『AIR』など京アニ初期の作品を思い出した。それらの作品には見てからしばらく頭から離れない程の衝撃があった。

『小林さんちのメイドラゴン』最終回からも同じような衝撃を受け、心動かされた。

嫌なシリアスではなかった最終回

これまでの感想でシリアスは嫌だと書いてきたけど、最終回は見るのが辛くなかった。予告を見た時点で重い話になると分かっていたからだろうか。

これまでの話ではコメディやほのぼの話の直後にシリアスを挟んでくるから落差で暗い気持ちになった。だが、今回はほぼ全編シリアス。そのおかげなのか大丈夫だった。不意打ちシリアスでないのは大きいと思う。

しんみりとした終わり方だった。物語に心を動かされてしまった。見終わった後に満足感というか、充実感があり、余韻が残る。しばらく軽い放心状態になった。

最初からもっとシリアス寄りにすべきだったのでは?

最終回が素晴らしかった分、これまでの話数、すなわち1話から12話とは何だったのかと思ってしまう。最終回とはまるで別作品だ。

こういう終わり方にするなら、いっそ最初からシリアスな作風でやったほうが良かったのではないかと思ってしまう。中途半端にコメディや萌え要素を入れたりせず、シリアス中心でやったほうが物語としての完成度は高くなったのではないだろうか。

最終回を見て思ったのは、やはり『メイドラ』の核心は異種間のコミュニケーションや絆という重いテーマだということ。決して気楽な日常系作品ではない。

ドラゴンとヒトとの交流を描いた日常シーンは、最終回で描かれたようなシリアスなテーマを描くための過程でしかない。「日常描写が目的でそれ自体を楽しむ日常系アニメ」とは異なり、メイドラゴンの日常は絆が作り上げられていく過程でしかない。

要するに絆を描くための日常であり、日常描写そのものが目的になっている訳ではないのだ。

©クール教信者・双葉社/ドラゴン生活向上委員会|アニメ公式サイトより引用

日常系っぽくしたのは妥協の産物か?

『メイドラ』の制作者(原作者含む)は日常系的なほのぼのシーンなど描きたくなかったのかもしれない。商業的な理由か何かで萌えを入れているだけで、本当は硬派なものが描きたかったのではないかと勘ぐってしまう。

今までの違和感もそれだろう、きっと。唐突なシリアスが不自然に思えたけど、コメディや萌えシーンこそ異質でテーマから外れたものだったのだ。

シリアスが主で、日常が従だったのだろう、多分。実際の時間配分では逆転していたのだけど。そう考えたほうが辻褄が合う。蛇足なのはシリアスシーンではなく萌えシーンという訳だ。

トール以外のドラゴンは必要だったのか?

極端な話、トールと小林以外のキャラクターはほぼ不要だった。言い方は悪いけれど、この二人が関係しないエピソードは蛇足。シリアスなテーマを描きたいのならば、出すキャラクターはこの二人プラス終焉帝で十分描けたと思う。

トールを除くちょろゴンズは、日常系萌え作品っぽく見せかけるため後から付け足されたように思える。そう思うのは他の竜のシリアスシーンがほぼ皆無だったからだ。強いてシリアスを挙げるなら滝谷とファフニールの関係ぐらいか。

カンナは可愛くて出番が多いけれど、あくまで脇役に留まっている。翔太とのおねショタシーンが素晴らしいルコアだが、ただのお色気要因であり、シリアスなテーマを描く上ではいなくても構わん感じだ。エルマはほぼ出番無し。

もちろんどのキャラも非常に魅力的ではある。だが、このようなサブキャラの「萌え」や「下半身直結要素」は何か違う感じがするんだよなあ。シリアスシーンの雰囲気とは余りにも噛み合わない。大きな違和感の原因になっている。

スピンオフでやったほうが良いのでは?

トール以外のドラゴンの話はスピンオフか何かという形にして、別作品でやったほうが良いレベル。実際スピンオフが出ているわけだし。

シリアスが好きな人間はわざわざ萌え日常系っぽい本作を見ようとは思わないだろうし、日常系を求めて視聴した私のような人間は唐突なシリアスシーンに「ギョッ!」としてしまう。そういう点からしても別作品に分けたほうが得だろう。

本来の意味での「日常系」だったらこういう終わり方(最終回)にはならないと思う。制作者が『メイドラ』を日常系アニメとみなしているなら、最終回をこのような形にはしないだろう。

『ガヴドロ』との比較

『小林さんちのメイドラゴン』と同じ時期に放映されていた、2017冬アニメ『ガヴリールドロップアウト(ガヴドロ)』は日常系コメディ。両作品の最終回を比較すると『メイドラ』が日常系の展開とは大きく異なっていることが分かって面白い。

ただ単に同じクールに放映されていたという理由で比較対象にしたわけではない。最終回のあらすじが似ているのだ。

大まかにと言うと、どちらの最終回も「別の世界から家族がやってきて主人公を元の世界へ連れ戻そうとする話」である。(主人公は一度連れ戻されるも帰ってきて、仲間の助けもあり家族は最終的に連れ戻すのを断念する。)

演出で印象が変わる

似たような筋書きではあるが、両作品は全く違う描かれ方をしている。演出が180度違うのだ。

『ガヴドロ』のほうは終始笑いが入って深刻な雰囲気にはならない。この深刻で思いシーンを入れないというのが日常系とシリアスの違いだと思うんだよね。

『メイドラ』を日常系にしたいのなら(日常系だと思っているなら)、終焉帝のシーンも(ガヴドロほどおちゃらけて無いにしても)もう少し緩い感じの演出になっていたと思う。

緊迫感があり、終焉帝に恐怖を抱かせるような演出にしたのはやはり制作陣が『メイドラ』をテーマ性のあるシリアスな作品だとみなしていたからだろう。トールの苦悩がひしひしと伝わってくるような演出であった。

おわりに

以上はあくまでも私の憶測である。原作を読んだ訳でもないし、作者のこともよく知らないので断定的なことは言えない。しかしながら、この作品を一話から見てきて感じた違和感を説明するには、上記の理由が自分の中で一番しっくりくるのだ。

『小林さんちのメイドラゴン』において、日常系萌え要素はあくまで「オマケ」の要素だと思う。この作品を「日常系」として解釈すると本質を見誤ることになってしまうのではないだろうか。

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