アニメの「聖地巡礼」をする意味とリスク、二次元オタクが三次元に出ていく必要はあるのか?

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今回はアニメの「聖地巡礼」に対する違和感と、二次元の崇高さについて語ります。

ゆるキャン△人気とリアルでのトラブル

凄い人気だったんですね『ゆるキャン△』って。ブルーレイが一万枚以上売れたと聞いて驚きました。人気があるとは思ってたけどそこまでとは。

筆者は売上厨ではないので「売れるアニメが優れている、売れないのは駄作」と言うつもりはないのですけどね。『ゆるキャン△』は一部支持者の声が大きかったわけじゃなく、多くの人の間で人気だったんだなぁと。

そんな人気に水を差す残念な話題が出てきました。

どうやら作品の舞台になったキャンプ場でトラブルがあったみたいです。聖地巡礼という名目で写真を撮りに来る連中に管理人が激怒していると。マナーがなってない常識知らずが多くて迷惑してるんですって…。

あーあという感じ。確かにマナー悪いやつはどの界隈にもいるわな…。品行方正なファンが迷惑するから行儀よくしろよと思うけど、ファンの母数が多いと難しいかも。先天的に行儀よく出来ない、ほとんどビョーキの人も混ざってくるでしょう。

マナー違反を防げないとなると、アニメの作り手は現実そのままの風景を使いづらくなるでしょうね。『ゆるキャン△』の場合、リアルに迷惑をかけないようアニメ内で注意書きを出しているのにこれですから。

罵声大会 by 鉄オタ

直接関係はないのですが、この件で鉄オタの乱暴狼藉を思い出してしまいましたよ。鉄道オタク(主に撮り鉄)のマナーの悪さは「罵声大会」で有名になりましたね。

廃止になる列車とか珍しい列車を撮りに来るのですが、ちょっとでもいい場所から取りたいから「ドケー」とか「シャガメー」とか汚い罵り合いをするんですよね。(実際にはもっと汚い言葉が使われてます。)

罵倒の対象は同じ鉄オタに限りません。被写体となる列車の前を歩く乗客とか、駅員にまで怒鳴り声を浴びせるのだからたまったもんじゃない。迷惑千万ですよ。鉄道というのは本来被写体ではなく乗り物なのだから、客が罵られる筋合いはありません。

キャンプ場で非常識な振る舞いをした人の中にも、そんな感じのイカれたオタクが含まれてるんじゃないのかなと、ふと思いました。狂ってる人、ビョーキな人。

本題、「聖地巡礼」の意味

でも、それ以前にですよ、筆者としてはアニメの「聖地巡礼」という行為の意味がわからない。聖地なんてこの世界にはないでしょ! アニメの聖地はどっか遠くの綺麗な世界にあるのよ。

『ゆるキャン△』の舞台になったキャンプ場に行ってもしまりんはいないぞ。

どこか遠くにある汚れなき世界に住んでるんだぞ。

富士山があったりカレー麺食べていたりしてる所がこの世界に似ていたとしても、それは似て非なるものなんだぞ。

作者が三次元を参考に風景を描いていたとしても、それはあくまでモデルでしかないと思いますよ。

たとえ現実の風景がアニメとそっくりだったとしても、魂の抜け殻を見に行くようなものかもしれん。

白状すると筆者も深夜アニメを見始めた頃、興味本位でアニメの「聖地」に行ってみたことがありました。

でも虚しいだけでした。そこは薄汚れた現実世界の延長でしかなかった。あの崇高な二次元世界ではなかった。ありがたさも何も感じられず、厳しい現実を突きつけられただけ。

見回してみてもあの子達はいないんだなぁ。悲しいよ…。当然だけど、こっちの世界には目が顔の半分ぐらい大きく、髪の色がカラフルで、鼻が点や線の子はいません。

いるのはリーマンとかおっちゃんおばちゃんばかり……。それ以来「聖地巡礼」に意味を見いだせなくなりました。人気作品の「聖地」だと、筆者と同類の萌え豚がうろついていることもあり興ざめです。

けいおんを見て楽器を始める人

「聖地巡礼」に限らず二次元の萌えアニメに影響され三次元で行動を起こすオタクがいますがあれもちょっと分からない。

例えば『けいおん!』を見て楽器を始めたとか。

アレってそういう作品でしたっけ? 音楽の楽しさと言うより女の子たちがキャッキャウフフする楽しさを描いた作品では? 楽器は美少女を引き立てるおまけ程度の扱いという認識だったのだけどな。

フィギュアは沢山買ったけど楽器を買おうとは思えませんでした。

いやほら、一般的な少年誌とかのね、スポーツや音楽に打ち込む漫画に影響されて始めるのなら分かりますよ。自分もうまくなりたい、活躍したいって思わせる熱いシーンがある。

でも萌えオタ向けの日常系アニメを見てそれらを始めるのはよくわかんねぇです!『けいおん!』の音楽要素がオマケとまで言うのは言い過ぎかもしれんが、やっぱりメインは美少女の日常生活。

この作品ではあまり練習シーンが描かれず、さらっとうまくなってさらっと演奏してしまう。頑張っているという印象が薄いので共感できません。

アニメ版は楽器の描き方や演奏シーンの指の動き等、ディテールに異様に凝っていると言われていますが、そういうことじゃないんですよ。音楽との向き合い方が問題なんです。

音楽の楽しさや醍醐味が伝わってきますかねアレで。澪ちゃんとあずにゃんの可愛さは十二分に伝わってきたけれども……。音楽アニメに見えるかもしれないけど、キャラクターを愛でるアニメなんですよ、本質的には。

話がそれました…。

もし、筆者のような捉え方をしているにも関わらず『けいおん!』を見て楽器を始めた人がいたとすると、彼は音楽が楽しそうだから始めたのではなくて、「あずにゃんと同じギターを持って同じ音楽というものをやっているのが嬉しい」という感覚なのかもしれませんね。

二次元に近づくための儀式?

好きなキャラと同じアイテム(例えば楽器)を持ったり、同じ行動(例えばキャンプ)をすることによって二次元に近付こうとしているのでしょうか。

それならなんとなく分かるかも…。

聖地巡礼も同じような心理で、しまりん達に近づけるかもしれないという儚い希望をもってキャンプ場に無断侵入しているのでしょうか? そう考えると切ないな。

個人的には、手の届かない所に存在するから価値があると思うんですけどねぇ、二次元世界は。

三次元と繋がってしまうと、何というかケガレみたいなものが流れ込んで、純粋な世界が壊されてしまう気がします。

実際今回キャンプ場で起きたようなトラブルがあると、心にわだかまりが残って素直に作品を楽しめなくなってしまいますよ。悪い意味で三次元が二次元に繋がった。

「聖地巡礼」してそこで嫌な出来事があったら、二次元世界の方にも悪いイメージが付いてしまう。

それが嫌で自ら「聖地」に行かなかったとしても、一部のイカレたファンやアンチが「聖地」で暴れまわったら避けようがないですよね。

(『ラブライブ!』のマンホールが汚された件もかわいそう…。未視聴なので作品の内容はよく知らないけども気の毒です。)

二次元の純粋さを求める層からすれば、はじめから「聖地」がないほうがマシなのかもしれません。

まとめ

  • 二次元世界は三次元の風景をモデルに作られる場合がある。だがそれらは似て非なる物。
  • 「聖地」を訪れても二次元のキャラクターには会えない。「聖地」と言っても現実の延長でしかなく人によっては虚しさを感じることも。
  • 三次元での出来事によって二次元の純粋さが壊されるリスクがある。不安な人は「聖地巡礼」を避けたほうが良いかも。ただ、一定割合いる狂ったファンやアンチが凶行に及んだ場合にはどうしようもない。
  • 鉄オタの中には凶暴な者もいるので注意。
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