アニメ『デスマーチからはじまる異世界狂想曲』をdアニメストアで全話視聴した。本作はネット上で一部の層から「スマホ太郎」の弟分「デスマ次郎」と呼ばれている。
スマホ太郎とは、なろう系チートハーレム小説を原作としたアニメ『異世界はスマートフォンとともに。』とその主人公の別称だ。主人公の度を越したチート能力や何のひねりもないテンプレ展開などが原因で、ボロクソに酷評されている。
筆者も興味本位で見てみたのだが、信じられないくらい内容が薄く面白みのない作品だった。虚無アニメと呼ばれているのも納得。
『デスマ』も同様になろう系チートハーレムもの。スマホ太郎に続くクソアニメという意味合いでデスマ次郎というレッテルを貼られてしまったのだ。
スマホ太郎の継承者と呼ばれるくらいだから酷いアニメなのだろうと身構えて視聴したが、いたって普通の異世界日常ものだった。スマホ太郎のように突き抜けた酷さが無い。あれは一切の創意工夫を否定するような作風で軽く狂気を感じた。
一方の『デスマ』は、引き込まれるような面白さは無いものの、視聴が継続できないほどつまらなくもないという、なんとも中途半端な作品だった。
だが主人公サトゥー(鈴木)の行動原理は、スマホ太郎こと望月冬夜のそれとは対称的。そのため作品自体の方向性が大きく異なっており、弟分の「次郎」と呼ぶにはふさわしくない作品だと思った。
むしろスマホ太郎を含むなろう系チート主人公を風刺した作品として見ることが出来る。
まずそのことについて書こうと思う。以下多少のネタバレがあるので未視聴の方はご注意を。
テンプレ作品との違い
本作はなろう系にありがちな異世界チートハーレムの形式を採用しているため、『異世界スマホ』等なろう系テンプレ作品と同一視されがち。
つまり、現代日本で暮らす主人公が異世界に転移・転生。その際に授かったチート能力を使い、何の苦労もなく敵を倒してモテモテになりハーレムを形成。誰からも尊敬され、お金にも恵まれ悠々自適の異世界生活を送る。そういったタイプの作品として受け取られる傾向がある。
確かに表面的に見れば『デスマ』もその通りの内容である。しかしながら本質的には趣向が異なる作品なのだ。なろう系テンプレ展開に見えるが実際はそのような安易な展開を拒否している。
どういうことか?
チートを持っていても使わない
主人公のプログラマー鈴木は、サトゥーというゲームキャラとして異世界に転生。直後に使った初心者救済魔法「流星雨」による敵の大量撃破でレベルが310まで上昇、全能力値が最大でカンスト。いきなり最強になってしまう。
それだけ見るとチート主人公のテンプレそのもの。神様に強化してもらったスマホ太郎と大差がない。モンスター相手に無双したり、気に入らないやつに魔法で嫌がらせをしたりしながら、お気楽な旅をしそうな流れだ。
だが本作の主人公は違う。極力チートを使わずに正攻法で問題を解決しようとする。さながらゲームの縛りプレイのようだ。戦闘時も滅多に「俺TUEEEE」をすることがない。
例えば、強い魔法を使わず普通の武器で攻撃するし、強敵(と言ってもレベル2桁の格下)に苦戦した時もチート持ちだとバレるのを嫌がり、変装したうえ初級魔法で攻撃する。さらにスキルもいちいちオフにしている。
そのため一般的なチート作品とは違い、良くも悪くも、ストレスフリーのサクサク展開にはならない。
アニメ中盤以降で作品のテーマやメッセージ性が分かるまでは、「なんで舐めプをするのだろう、まどろっこしいなぁ、その程度の敵さっさとチートで始末しろよ」と思っていた。
メッセージ性がある
視聴を進めると、主人公がチートを活用せず舐めプのような戦い方をすることの意味が分かってきた。主人公の行動原理が作品のテーマと密接に関係していることに気がついたのだ。そのきっかけとなったのはアリサとアンデッド「不死の王」のエピソード。
アリサは現代日本の知識を持ったまま異世界に転生した少女。王女になり、現代知識によるチートで国を豊かにしようとしたが、陰謀により失脚。奴隷の身分に落とされる。
最初は上手く行っていた知識チートだが、途中から不自然なまでに失敗するようになった。当時は異世界と地球の違いのせいだと思い、陰謀に気が付かなかったと語るアリサ。
妙にシリアスだが単に運が悪かっただけのエピソードにも見え、作者にどのような意図があるのかよく分からない。だが次の不死の王のエピソードではメッセージが明確に語られており、これを見ることでアリサの件の意図も理解できる。
不死の王は骸骨の姿をしたアンデッドだが、元は普通の人間。前世で理不尽な暴力により命を落とした彼は神様にチート能力を貰って転生し、恵まれた環境で幸せに暮らしていた。だがある時、悪い貴族によって無実の罪で投獄、処刑され妻や一族郎党も惨殺されてしまう。
アンデッドとして復活した彼は貴族への復讐に成功するが、今度は神様に貰ったチート能力のせいで苦しむことになる。「死なない体、飢えない生活、理不尽な暴力に歯向かう力」を神様から授かっていたので、どんな方法を試しても死ぬことが出来なかったのだ。
ただし、勇者の称号を得た者が聖剣を使えば倒すことが可能。不死の王は自分を殺してくれる者を探しており、主人公がその役として選ばれる。
倒された不死の王は主人公に、「転生者の娘(アリサ)が神に与えられた力を乱用しないように気を配れ、その力は人の身に余る」と言い残し感謝しながら消滅。
前の回にアリサが精神を操る魔法を使うシーンがあったが、神から与えられたチート能力だったようだ。アニメでは言及されていないが、王女時代、内政に現代知識だけでなく洗脳チートも活用してたのかも。原作を読んでいないので詳細は不明。
おそらくこれらのエピソードには、チートがあれば幸せになれるという安易な価値観を否定する意図があるのだろう。チートの力を過信した者は悲惨な末路をたどるのだ。
すなわち、幸せはチートに頼らず地道なやり方で手に入れるしかないというメッセージが込められている。これはチートを使わず正攻法でというサトゥーの行動原理と一致する。図らずも転生者二人と同じ失敗を繰り返さないような行動をしてきたのだ。
これはチートで無双するテンプレ主人公への風刺になっているのだと思う。なろう作品でありながら、作者はなろうテンプレを批評的な目で見ているようだ。
ハーレムだけどハーレムじゃない
『デスマ』でも、お約束通り次々と美少女が集まってきてあっという間に大ハーレムが形成される。非常にベタである。
だがこれは視聴者から見ればハーレムというだけで、主人公にとってはそうではない。全員恋愛の対象外。それどころか女として見ていない。全裸で迫ってきても全く喜ばないのだから。
そんな主人公だが転生前は「綺麗なお姉さんのいる店」に通うのが好きだったようだし、転生後も成り行きではあるものの娼婦と寝ていた。すなわち性欲を失っている訳ではない。それなのに美少女に対して淡白な反応をする。
年下に興味が無いというようなセリフもあるが、単純にそれだけが理由では無いように思う。どうも主人公は、仲間になった女の子たちのことを血のつながった親族のように考えているようだ。
近親者に色々するのはまずいという感覚が働いている。だから性的な目で見られない。サトゥーはまるで孫を見守るおじいちゃんのような態度で彼女たちに接しているのだ。
そういうわけで複数の美少女を連れ歩いていても、本作を純粋なハーレムものと呼ぶことは出来ない。
方向性の違い
以上のことから『デスマ』は、スマホ太郎の後継者「デスマ次郎」と呼ぶにはふさわしくない作品だと感じた。目指すものが真反対なのだ。なろうのベタを極めたような『異世界スマホ』に対し『デスマ』はなろうへのメタな視点から作られている。
兄弟に例えるとしても、兄を反面教師にして別の道を進んだ弟。決して同類ではない。
そもそも『デスマ』はクソアニメと呼べるほどぶっ飛んだ内容ではなかった。どっちかと言えば日常系のたぐい。そのジャンルが好きじゃない人には楽しめないかもしれないが、決して出来が悪い作品ではないのだ。
余談だが、百錬三郎ことアニメ『百錬の覇王と聖約の戦乙女』は、スマホ太郎の兄弟と言っても差し支えないと思う。なろう原作ではないのだが、脚本と作画を中心にあらゆる部分が狂っていてクソアニメ以外の何物でもなかった…。
『百錬の覇王』のほうは虚無アニメではなく『異世界スマホ』と毛色が違うのだけど、内容のぶっ飛び方では負けていない。謎の主人公ヨイショも共通している。暇な方はぜひ見ることをおすすめする。クソだけど笑える良いアニメだ。
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その他雑感
上に書けなかったこと。良いところ、悪いところなど。
盛り上がらない
この手の作品ではありがちだけど主人公が何をしたいのか分からない。目的が見えてこないから、話の続きが気にならず少々退屈に感じてしまう。最終回も打ち切りみたいな終わり方だった。異世界が舞台の日常系として見るのがよさそう。
可愛い女の子たち
ヒロインたちにしっかり個性がある所は評価できる。獣人幼女ポチとタマの無垢で子供っぽい所が可愛い。転生者アリサは見た目とは裏腹に言動がオバサンっぽいとこが好き。強気に見える彼女が辛い過去を思い出し涙を流すシーンは非常にそそられた。
女の子を眺めるアニメとしてはよく出来ている。主人公が脇役のように振る舞いあまり出しゃばらないのがいい。さらに仲間になるキャラ以外にも美少女がいっぱい出る。
絵、作画のこと
絵自体は綺麗だけどあまり動かない。一枚絵をスクロールさせて尺稼ぎなどが多い。ほとんど紙芝居のような話数もある。崩れているけどよく動く『このすば』等とは正反対のスタイル。
字が小さい
主人公が取得した称号などが画面に表示されるのだが字が非常に小さい。小さすぎて読めない。なんか取得してるなーということしか分からない。
OPの曲
なんか変わった曲。上手いとか下手とかじゃなくて、あまり聞いたことがないような曲調で不思議な感じ。
主人公に思うこと
主人公は禁欲的に見える。手に入れたチート能力で無双してやろうなんて考えないし、一緒に旅をする美少女たちに手を出すこともない。
先に書いたようにテンプレ風刺という作品のテーマがあるから仕方ないのだろうけど、欲望が見えてこないんだよね。枯れてる感じ。達観した老人みたい。
そしてせっかく恵まれた状況にいるのにあんまり楽しそうじゃないんだよなぁ。イキイキしていたのは最初の街にたどり着く前くらいまで。
事務的に人助けはしているけど、何がしたいんだろうね。冷めてるね、熱意がない。
そもそも鈴木(サトゥー)は現実に失望していたわけでもないし、帰れるなら帰りたいと思っている。だけど積極的に帰る方法を探すことはしないし、異世界をエンジョイしようともしない。チート系主人公としてはなかなか異質な存在。何がしたいんだホント。
欲望を満たすために手段を選ばないサイコパス主人公は嫌だが、ここまで悟った主人公だと話が盛り上げるのが難しそうだ。
可愛い子がたくさんいるのに一切手を出さないのもなんか変よねぇ。ロリのポチタマは仕方ないとして、問題のない年齢の子もいるのにねぇ。性的に見れないというのは不自然。
ちゃんと理由は説明されてるんだけど、やっぱり去勢されているように見えてしまう。転生時に肉体を弄られてそう。妙に声が高いし女体化していると言われても納得できる。
『物理さんで無双してたらモテモテになりました』の主人公みたいに片っ端から食っちまうほうがある意味自然。
妄想
完全に妄想なのだが、過労死した主人公があの世に旅立つ前に人生の精算をさせられているようにも感じられた。彼からはあてもなくさまよう魂のような印象を受ける。強い意志が感じられず虚ろな感じ。
異世界は天国の手前にある通過地点みたいなもの。人間的な愛情や家族の暖かさを知らずに仕事一筋で生きていた主人公が、擬似的な家族を作ったり人助けをしたりすることで罪を償うみたいな…。
彼の無茶な働き方はある意味自傷行為であり、自殺に近いから罪なんだろう(適当)。
主人公が楽しそうじゃないのは、異世界へ遊びに来ているのではなく罪を償いに来ているから。
あと、奴隷ばっかりパーティに加えるのは自分も奴隷のような生き方をしてきたからなのかもね。同じ苦しみを抱えた者同士が集まって癒し合う会のようなものを作っている。
社畜として自分のためではなく他人の道具として生きてきたと。それはもう奴隷と同じだと。タイトルにわざわざ「デスマーチ」という言葉が入っているのはそういう意味かも。
根拠のない妄想だけど。
おわりに
まぁ悪くはないアニメだった。一応メッセージ性があるし、考察して楽しむことも出来る。先入観を持たずに見るとまあまあ面白いぞ。女の子が可愛いし。
逆にクソアニメを見たい方にはおすすめできない。『異世界スマホ』みたいなのを期待していると拍子抜けする。そういう方は『百錬の覇王』を見るべし。
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