のんのんびよりの劇場版を見てきました。かなり満足。映画館まで行って見る価値がありましたよ。
作画は、めちゃくちゃ良く動くというわけではないけど丁寧で安定感がありました。南国の風景が素敵で本当に旅行したような気分が味わえました。
※以下ネタバレがあります。ご注意ください。
劇場版らしさ
『のんのんびより ばけーしょん』は劇場版らしくTV版とは一味違う雰囲気でした。日常系の劇場版には、いつも通りの話をスクリーンでやっただけの作品もあるけど、本作は趣向を変えていました。
のんのん村(仮称)一行が沖縄旅行へ行って帰ってくるまでの話になっています。TVアニメ版『のんのんびより』は村での出来事が中心だったので、特別な感じがしました。
余談ですが、ごちうさ映画『Dear My Sister』のストーリーは、分割してTVでやって欲しかった……。
劇場版でもいつも通りにやるもんだから、長い尺を活かしきれず間延びしているように感じてしまいましたよ。
まあ、『Dear My Sister』はOVAの劇場上映という形式なので、劇場版として作られた『のんのん』と単純比較はできないのですけどね。
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舞台は本島じゃない
本題に戻ります。
沖縄旅行というから沖縄本島が舞台かと思いきや、飛行機が着いたのは石垣島。一行はそこから船で竹富島へ向かいます。
竹富島は沖縄本島より台湾のほうが近いような場所にあるんですよね。えらい遠くへ行ったなと。高いビル等も無く、のんのん村と変わらないくらいのんびりした田舎の島でした。
映画の大部分はみんなが竹富島で楽しく過ごすという内容。いかにも日常系的な内容なのですが、この作品では夏海が主人公のようなポジションに置かれています。
夏海と本作オリジナルキャラあおいの交流にはドラマ性があり、ここはTV版とは一味違いましたね。
オリジナルキャラあおい
あおいは一行が泊まった民宿の娘で夏海と同学年。民宿の仕事を手伝っており、夏海よりしっかりしていて大人びています。でも意外と共通点もあるので夏海は彼女に親近感を覚えます。
あおいは夏海と同学年という点が重要です。のんのん村には同じ学年の子がいないんですよね。教室のプレートを見ても分かるように皆学年がバラバラ。仲は良いんだけど姉や妹みたいな存在。実は対等な関係の友達はいなかったんです。
あおいは夏海にとって初めての同年齢の友達ということになります。
だんだん仲良くなっていくが故に別れが辛くなる…というエピソードが観光シーンの間に挟まれます。あおいの暮らす竹富島は物理的にすごく離れているので、村に帰ってしまうともう会えないかもしれないという切なさがありました。
この二人のエピソードは構造的にTVアニメ1期の4話と見ることができます。つまり、れんげが村へ遊びに来た同学年の女の子ほのかと交流する話の夏海バージョンとも言えますね。
深読み(妄想)をする
この夏海とあおいのエピソードは、やろうと思えばもっと膨らませられたように思います。
終盤でドラマチックな展開になるのかなと思ったのですが、特に大きなイベントは起こらず「あれ、これで終わっちゃうの」と少々拍子抜けでした。
二人のエピソードを膨らませず淡々と終わらせたのは、『のんのんびより』原作やTV版の作風を壊したくなかったからなのかもしれません。
ドラマチックにし過ぎて日常系の枠からはみ出さないよう、ギリギリのところで踏み留まった感がある。
なぜそんなことを考えるのかといえば、盛り上がるドラマが作れる材料というか伏線のようなものをいっぱい張っていたからです。
この映画にはあおいに関する意味深なシーンがあり、それを使えば劇的なクライマックスにつなげることができそうでした。
というより、視聴中は本当に伏線だと思っていましたよ。劇場版だからいつもとは趣の違う終わり方になるのかなと。
不穏な壁打ち描写
ここから具体的に伏線らしきものについて語ります。
まず最初の伏線らしきもの。夕食後、夏海がバドミントンの壁打ちをしているあおいを見つける場面ですね。
暗い中隠れて壁打ちをやっていのは不穏な感じで、何か訳がありそうな演出になっています。
しかも、あおいは壁打ちしていることを母親に知られるとマズいらしい。だから母が来た時、あおいは夏海にラケットを隠してほしいと頼みました。
母に見つかると、壁が傷むという理由ですごく怒られるとのこと。布団叩きを持って追いかけてくるんですって。
でもシャトルが当たったくらいで壁には大した被害はないでしょう。絵的にも脆い感じの壁ではなかったですよ。母は几帳面でちょっとした傷も許せない人なのでしょうかね? その程度のことで、そこまで酷く怒るのは異常に思えます。
それにたとえ壁が傷んだとしても、娘が打ち込んでいるスポーツの練習なんだから許してあげてよとも思います。遊ぶ時間を削って宿の仕事を頑張ってるんですし。
そもそも、母親にラケットを見られるだけでマズいというのも少々不自然なんですよ。シャトルを隠し、素振りをしてたと言えばいいじゃん。
それが通用しないということは、素振りさえ許してもらえないのか…と勘ぐってしまいますよ。
壁打ちがダメというより、家でバドミントンの練習している所を見られるだけでアウトというような印象を受けました。
壁打ちシーンの意図
夜の壁打ちは、表面的に見ればあおいと夏海の共通点(運動が得意&厳しい母がいる)を描くためのシーンに見えますが、別の意図も隠されている気がしてなりません。
どうも普通じゃない。引っかかりますよ。いつもの『のんのんびより』とは空気が違い、裏に何かありそうな雰囲気が漂っています。
そこで考えたのが母親がバドミントンをさせたくない説。理由はよく分からないけど、あおいがバドをやっている事自体よく思っていない。バドをしている暇があったら民宿の手伝いをさせたいのかもしれません。
あおいは単なる手伝いの域を越え、一人の従業員として働いていました。ゆくゆくは民宿を継がせたいというのが両親の考えのようにも見えます。
よってバドミントンは余計なこと、お遊びをしている時間があったら将来のために民宿の仕事に打ち込みなさいということなのかも?
そのような予想をして見ていたら、後半に「バドミントンさせたくない説」を補足するような場面がありました。
それは夏海とあおいのバドミントン対決シーン。これを見て「やっぱりな」!と思いました。母があおいにバドをさせたくない理由が描かれています。
あの夏海が完敗
夏海はバドであおいに勝つ気満々だったものの、手も足も出ず完封されてしまいます。あおいは圧倒的に強く、夏海は飛んでくるシャトルに反応することすら出来ませんでした。
運動神経が自慢の夏海でも全く歯が立たないのだからあおいの実力って相当のものですよ。
これって超意味深。やっぱりあおいには並外れたバドの才能と実力があるんですよ。これってもう、そういうことでしょう。だからやらせたくないんですね、親は。
あおいはクラブで真面目に練習してるから上手い、夏海は真剣に練習してないから弱いっていうような差じゃないですよこれは。生まれ持ったもの、そもそもの才能が違うという描写に見えます。
日常系ほのぼの映画にわざわざこういうシーンを入れた意味を考えてしまいます。普通なら仲良くバドをしましたー。やっぱりあおいちゃんは強いねー……でいいじゃないですか。
まともに試合にさえならないって一体…。こまちゃんが呆れるくらいボロ負けでした。ここまで極端な実力差を描いていると、何か深い意図があるに違いないと勘ぐってしまいますよ。
このシーンで一番伝えたいのは、あおいのバドミントンの圧倒的な強さだと思います。才能も垣間見えるけど一番重要なのは中学生としては飛び抜けて上手ということ。
それが母親があおいにバドミントンをさせたくない理由になっているのでしょう。
上手いからやらせたくない
あおいが飛び抜けて上手なことでなぜ母親がバドをさせたくないと思うのか。それには竹富島が小さな離島であることと、家業の民宿が関係していると思います。
簡潔に言うと、バドミントンを頑張ることがあおいが島から出ていくことに繋がってしまうから、やってほしくない。
劇中では言及されていないですが竹富島には中学校までしかないようです。卒業後は別の島の高校に通うことになるらしい。ただ石垣島なら船ですぐなので家から通えて特に問題はありません。
しかし、バドミントンで上を目指そうと思うなら話が変わって来ます。強豪校へ行って強い人達と練習したほうが良いでしょう。
実際あおいには上を目指せるだけの才能と実力があります。それは夏海との試合で示されています。
もしあおいがバドミントンで上を目指したいと決意したなら、沖縄本島や県外へ出ていくことになります。
そうなると、民宿の手伝いをさせられなくなるし、将来的にプロのバドミントン選手になってしまうと後を継がせることもできません。
だから母親はあおいがバドに熱を上げることをよく思わず、ほどほどにして欲しいと思っているのでしょう。
才能があるあおいが練習してさらに上手になったら、より強い相手と試合をしたくなるでしょう。上を目指したくなるのが人情です。そうなると島から出ていかざるを得ない。
だから母親はあおいが実力を付けることを望んでいないのでしょう。家に帰ってきてまで練習する必要はない。それより民宿の仕事を手伝ってと考えていそう。
壁打ちぐらいで激しく怒る背景にはそういう事情がありそうです。ほとんど筆者の妄想ですけどね。
あおい母の思い
劇中の描写を見るに、あおい母は娘のことを大事に思っているのは間違いない。でもバドミントンで夢を見るより堅実に家業を継いでもらいたいと思っている感じがします。
沖縄の離島には観光以外の産業があまり無く働き口も少ない。あおいが故郷の島に残って食べていくためには民宿を継がせるのが一番だと考えているのかも。
子供を自分の近くに留めておきたいとか、娘一人が見ず知らずの土地で暮らすのは不安だとか、慣れ親しんだ美しい島で暮らして欲しいとか、自分たちが頑張って切り盛りしてきた民宿を守って欲しいとか、いろいろな思いがありそうです。
大人びているあおい
あおいは明るい子だけど、夏海とは違い、少し陰もあるように見えます。同年齢とは思えないくらい大人びているのは無理をして大人になろうとしているから。
母親の期待に応え後を継げるよう民宿の仕事も頑張っている。でも大好きなバドミントンは諦めきれない。本心では選手になりたいと思っているのかもしれない。バドと親の板挟みで葛藤してるんでしょうね。
深読みと言うか妄想なんですけど、この映画にはそう思わせるような描写が多い。
ノーマルエンド
本劇場版の終わり方は、マルチエンディング型のギャルゲーで言うところの「ノーマルエンド」であって、別にトゥルーエンドがあるように見えました。
夏海はどこかでフラグを立てられなかったのでしょうね。
夏海とあおいには温度差がありました。夏海は、はじめて出会えた同年齢の気が合う友達であるあおいちゃんが大好き。本気で泣くぐらい離れるのが辛い。
でもあおいにとって夏海は沢山の宿泊客の一人でしかなく、よくある出会いと別れだからそこに感傷はない。夏海の片想いみたいな形でした。
もっと親密になっていれば(好感度を上げていれば)あおいがバドミントンと親に関わる悩みを打ち明けてくれて、ドラマチックなラストシーンになっていたのかもしれませんね。夏海の後押しで親の反対を押し切ってでもバドミントン選手になることを誓うとか。
まぁ、そういう展開は『のんのんびより』が日常系である以上難しいのでしょうけど…。下手にやってしまうと原作レ○プとか言われてしまいそう。
もし別ジャンルだったら…
スポーツものだったら全国大会で会おうエンドになりそうな流れ。
夏海はバドでボロ負けしたことで自身の運動神経を過信していたと悟り、村に帰ってからあおいに追いつくべく必死で練習する展開になりそう。何事にも不真面目だった主人公が、目標を見つけて頑張るきっかけになりそうなエピソードでした。
キービジュアル
妄想話は終わり。夏海以外のキャラについてコメントをします。
ひかげは映画でもいいキャラしてました。欲望に忠実なくせして、そのことを悟られまいと見栄を張る。とても見苦しいのだけどそこが人間臭くて好きです。
TV版以上に情けないシーンが多く印象に残りました。
一方このみはとにかく存在感が薄かった。無口な兄ちゃんより目立ってないですね。そのことを頭に置いてキービジュアルを見ると、このみだけ横向いてるのが引っかかるんですよね。
このキービジュアルはよく出来ていて、映画でのキャラのスタンスがバッチリ分かります。かなり計算されて作られている印象を受けました。
れんげは一番手前でにゃんぱすポーズしていて存在感抜群。積極的に沖縄を楽しもうと張り切ってる。
この映画では主人公格の夏海があおいの手を引き手前へと走っている。他のキャラは止まっているのだけどこの二人は動いている。二人にはドラマがあり映画のアクセントになっていることを表しているのでしょう。
出番は多いものの夏海たちに比べると脇役的ポジションのほたるんとこまちゃんは、手前の端で仲良くお座り。後ろに目をやると携帯を見せつけるようなポーズでドヤ顔をしているひかげがいて、駄菓子屋はかず姉がやらかさないよう制止中。兄貴は一番奥でたそがれています。
本編を見なくてもキャラの性格や映画での役割がよく分かるいい絵ですね。
でもこのみだけ浮いてる。女性キャラはみんな前を見ているのに彼女だけは横を向いていて横顔と片目しか見せていない。出番が少ないことを暗示してるんでしょうかね、やっぱり。
本編見ても「あ、この子も来てたんだ」ってくらいの存在感でしたから。
あとがき
深読みというか妄想をしてみました。ただ映画館で一度見ただけなので見落としているシーンや解釈の誤りがあるかもしれません。
円盤や配信で見られるようになったら止めたり戻したりしながらじっくり見て再度考察したいです。