2019年夏アニメの『まちカドまぞく』ですが、秋アニメも終盤の今になってやっと全話見ることができました。夏は他に見たい作品が多く、リアルタイムで見られなかったからです。具体的には、複数のなろう系アニメを追っていたからですね。
この記事では、アニメ『まちカドまぞく』の良かったところを書いていきます。
※ネタバレ注意
一味違う日常系
「シャミ子が悪いんだよ」で話題になった『まちカドまぞく』ですが、思っていたより何倍も良かったですよ。愛と優しさにあふれている素晴らしい作品でした。心が暖かくなりましたよ。
頭を空っぽにして見る癒やし系作品かと思っていたけど、それ以上のものがありました。
基本的にはきららの日常系らしい平和で優しい世界が描かれますが、時々、その裏にあるシリアスな設定や過酷な現実が仄めかされるところが一味違いますね。
荒んだ世界の中に残された最後の楽園と言うべきか、あるいは砂漠のオアシスと言うか……。本作の世界観からは、そのような印象を受けました。
見やすい構成
アニメ版『まちカドまぞく』は、ほとんどの話数で、前半と後半が独立したような構成になっています。CM前で一度話にオチがつくので短い空き時間にも安心して見られるのがいい。
他の日常系アニメの構成
『まちカドまぞく』から少し話がそれます。
個人的には、他の日常系アニメもストーリーを細かく区切り、短い時間でオチを付ける構成にしてくれたほうが嬉しいです。
原作漫画の複数エピソードを頑張ってつなぎ合わせ、一本の長い話にしているアニメが多いですが、別に再構成しなくてもいい気がするんですよね。
原作は連載一回分でひとまとまりの話になっている事が多いので、その構成を崩すことになってしまい、原作の雰囲気が損なわれるリスクがあります。無理につなぎ合わせず、アイキャッチでも入れて仕切り直せばいいかもしれません。
アニメ1話につき2本から4本くらいのエピソードに分けてくれたほうがダレないから見やすいし、原作のテンポ感も再現できるのでは?
そもそもストーリー性の薄い日常系作品の場合、24分の枠ではなく、ショートアニメにしても良い気がします。
きらら系作品でショートアニメとして作られた作品は現状、『わかば*ガール』くらいだと思いますが、あれはすごく良かった。『きんいろモザイク』作者の過去作のアニメ化です。
また、体感時間が2倍になると言われネタアニメ扱いされている『キルミーベイベー』ですが、原作はテンポが良くてすごく面白いんですよねぇ。
『キルミー』は特に、原作とアニメのギャップが大きい。アニメ化の際、24分枠に合わせ、無理に再構成したせいでおかしくなったパターンだと思います。
久しぶり完走できた
短くまとめてほしいと思うのは、最近、日常系アニメを見るのが辛くなっているから。『アニマエール!』も『わたてん』も結局最後まで見れませんでした。
第一印象が良く、キャラクターが好きになっても、第6話くらいまで見た時点で「もういいや」となってしまいます。1話1話が長いな~と思ってしまうんですよね。
『まちカドまぞく』は久しぶりにダレずに最後まで楽しめた日常アニメでした。
(念の為書いておきますが、『アニマエール!』や『わたてん』も決して悪い作品ではないですよ。見る側の問題です。体力が落ちてるのかも。)
キャラが魅力的
メインキャラには重そうな設定があっていいですね。ただ可愛いだけではない所に魅力を感じます。
シャミ子
主人公のシャミ子こと吉田優子。彼女は生まれつき病弱で体力が無く、かといって知能が優れているわけではありません。はっきり言ってポンコツな女の子。
でもすごい頑張り屋で、その健気さには心を打たれます。
突然背負わされた重い宿命にめげることなく、前向きに頑張っている所を見ると、桃じゃなくても応援したくなりますよ。
ただのおバカキャラじゃなくて、不器用ながらも必死で生きてる感じがいい。すぐ泣いちゃうけど、それもいい。
桃
クールで強い(元)魔法少女の千代田桃には、何やら暗い過去がありそう。魔法少女現役時代を思い出したくないらしいんですよね。精神世界も黒く淀んでいたし闇を感じます。
『まどマギ』以降、魔法少女というものに暗いイメージがついて回るようになりましたね。
広い屋敷に一人で暮らしており、表札には一人分の名前が消された痕跡があるのも意味深。家族が死んじゃって天涯孤独?日常系らしからぬ不穏な空気が漂っています。
戦いを挑んでくるシャミ子に対しては妙に優しい。魔族と魔法少女は敵対関係にあるはずなのに世話を焼いたりします。ここにも何かがあることを匂わせてます。(この謎はアニメ最終回付近で回収。)
また、料理ができずジャンクフードばかり食べたりと意外に不摂生なようです。優秀に見えて、結構抜けている所があるのもいい。
ミカン
第7話から登場した陽夏木ミカン。しっかり者の頼れるお姉さん的ポジションかと思いきや、この子も問題を抱えていました。
「呪い」と呼ばれるファンタジーならではの問題ですが、感情が高ぶるだけで周りに被害が出るというのは洒落にならない。何かのメタファーにも見えます。
なお、個人的には本作のキャラ中で一番えちえちだと感じました。一方、シャミ桃にはなんかそういう感情を抱けない。可愛いのだけどそういう目で見られないですね。
あまり出番がなかったので2期に期待です。
メイン2人が強い
他にも脇役はたくさんいるけど、基本的にはシャミ子と桃が中心のストーリーでした。2人に焦点を絞っているところに、ある種の特別さを感じます。
日常系の場合、4人以上のメインキャラを登場させ、それぞれを絡ませて話を作っていくスタイルの作品が多いと思います。
でも、本作はメイン2人のキャラが立っているので、サブキャラを出さなくても十分話を作れそうなイメージでした。もちろん魅力のある脇役はいますが、あくまでも物語のベースはシャミ子と桃の関係性だと感じます。
ストーリー性がある
日常描写を中心に据え、大きな事件やイベントを極力排除するのが日常系作品です。
『まちカドまぞく』も日常描写が中心になっていますが、同時にストーリー性やドラマ性もありました。
日常系でありながらストーリーものに近い構造を持っている。きらら作品の中では異色かもしれません。
『ゆゆ式』という作品は日常系の中でも特に徹底してイベントを排除し、会話シーン中心の描写に徹することで独自のポジションを築きました。
「ノーイベント グッドライフ」という言葉に象徴される世界観です。日常系の中の日常系という感じ。
一方『まちカドまぞく』はその逆をやっていると思います。しっかりした裏設定やキャラクターの葛藤、成長を盛り込んで、ストーリーものに近づけることで独自性を出している。
もちろん一般的なストーリーものとも違います。日常系をやりつつも、背後ではしっかりストーリーが動いている感じが新鮮でした。日常描写とストーリーのバランスがすごくいい。気軽に見れつつも次が気になるし、感情が動かされます。
意外に重い設定
日常系的な演出で明るく軽い話に見せているけど、その背後にはシリアスで重い設定があります。
本人は全く好戦的な性格ではないのに、一族の因縁のせいで戦いに巻き込まれたり、過去の事件によってトラウマを抱えていたり、平和なのは街の中だけで、外側では熾烈な戦いが繰り広げられていたり。
この設定なら、もっと暗くシリアスに演出することも難しくは無いと思います。お涙頂戴な展開にもできそう。
けれども、日常系の雰囲気から外れないよう、話が重くならないよう、ギャグやコミカルな描写でシリアスさを隠しているように思います。
日常系でありながら話に深みが感じられるのは、平和な日常の背後にあるシリアスで重めな設定のおかげなのかもしれません。
深読みしたくなる
本作には深読みしたくなってしまう設定が色々とあります。原作は未読なので見当外れの推測かもしれませんが……。
以下は筆者の妄想なので真に受けないでくださいね。また、アニメ終盤のネタバレを含むのでご注意を。
メタファー?
魔法少女と魔族が対立しているという設定と、それにまつわる描写は、現実世界における様々な対立や分断を想起させました。
現実世界の人種、民族、宗教などに起因した生々しい対立を、ファンタジー的な魔法少女と魔族の対立に置き換え、マイルドに表現しているようにも思えます。本作の魔族の立ち位置はどうしても、社会における様々な少数派とかぶって見えてしまう。
対する魔法少女は、一見すると正義側のようにも見えます。危険な魔族から治安を守る、警察や軍隊のような位置づけのようです。
しかしながら作中では、魔法少女が魔族を酷い目に遭わせていることが仄めかされています。ひょっとすると、武力を背景に独りよがりな正義感で魔族を敵認定し、容赦なく叩き潰す集団なのかもしれません。
桃が何やらトラウマを抱えているのも、上からの命令に従い、罪のない魔族を殺めたことに罪悪感を持ってしまったからなのでは?と邪推してしまいます。シャミ子に優しくするのも罪滅ぼしの意識があるからなんじゃ……。
アニメ本編を見れば分かるように、シャミ子は角が生えている魔族ですが全然邪悪じゃないですし、むしろ優しい子です。力も強いとは言えず、はっきり言って人畜無害。
しかし、桃やミカンなどを除く一般魔法少女の考え方としては、「魔族=悪」だから討伐対象ということになるようです。個人として見ず、魔族という属性だけで殲滅対象になってしまう。安易に「敵と味方」や「正義と悪」に分け、レッテルを貼って攻撃する怖さを感じます。
アニメの範囲では情報が少ないので断定はできないものの、本作における魔法少女というのは冷酷で恐ろしい集団である可能性も考えられるという……。
対立はなくならない
魔族と魔法少女という、激しく対立する勢力に属しているシャミ子と桃が仲良くしていることには、非常に重みがあると思います。メッセージ性のようなものも感じます
先祖の因縁など、歴史的・社会的な理由によって押し付けられた対立関係を克服する話としての解釈が可能かもしれません。
本人たちが望んでいないにも関わらず、様々なしがらみによって対立関係に置かれてしまった人々がいます。しかし彼らも、一人ひとりの人間としては分かり会えるかもしれない。
桃とシャミ子を見ていると、そのようなことが感じられ、救いがあるように思えます。しかし、それはごく限られた場所でのみ起こった、例外的な出来事であることも示唆されていました。
シャミ子たちの住む街(せいいき桜ヶ丘)の外では、今でも魔族と魔法少女が激しく対立し、戦闘が繰り返されているようです。シャミ子の街だけ例外的に平和が維持されており、それは桃の姉が貼った結界のおかげだということがアニメ終盤で明かされました。
「せいいき桜ヶ丘」という名前の通り、この街だけが聖域だったという……。とても意味深でした。「聖蹟桜ヶ丘」の単なるもじり以上の意味があったんですね。
この街では魔法少女と魔族が仲良く共存できてるけど、それは例外的な状況でしかなかった。ここがなんともシリアスです。
日常系作品では、平和で優しい世界が舞台になっていることが多いです。しかし本作において優しい世界はシャミ子の周囲にしか存在せず、外側には過酷でリアルな現実が広がっていたのでした。
これは、日常系アニメを楽しんでいる現実世界の我々の状況にも重なるように思います。
生かされている
人は自分一人で生きているのではなく、色々な人のおかげで生かされているのだというメッセージも感じます。
シャミ子は生まれつき体が弱く、そのままでは長く生きられない状態でしたが、父親と桃の姉の尽力によって命を繋いだようです。
しかしその結果、父親は箱の姿になってしまい、桃の姉は行方不明に。
筆者は原作未読でアニメ化以降の話を知らないので真相は分かりませんが、桃の姉はシャミ子を救うために力を使い過ぎ消滅してしまったようにしか見えません。魔法少女が力を使い過ぎると人の形を保てなくなることは、アニメ内でも言及されていました。
現在の自分の平和な日常は、誰かの尊い犠牲の上に成り立っているのかもしれない。そんなことも思わせるエピソードでした。
おわりに
すごくよかったです。ベースは日常系作品なので気楽に見れるけど、深読みしたくなる設定がふんだんにあり、色々考えさせられました。
なんでもない日常というものも、実は誰かの犠牲によって支えられているし、外に目を向ければ殺伐とした世界が広がっている。
日常というのは儚いものなんですね。儚いがゆえの尊さ、ありがたみも感じます。日常系作品の優しい世界の外側には、過酷な現実が存在しているという視点を出してきたのは衝撃的でした。
ここまで深い思想やテーマが隠されている日常系作品を見るのは初めてです。ちょっと感動しました。
ストーリーのことばかり書きましたが、映像や音響など含め全体的にクオリティが高い作品です。
最終回では、シャミ子の母が隠していた吉田家の謎の一端が明らかになったものの、まだまだ謎は残ってますし、魔法少女たちの過去も気になります。2期に期待です。